崎陽軒と順海閣――横浜名物「シウマイ」の歴史をたどったら意外なつながりがあった!

雑談

今日も雑談の部屋へようこそ!

横浜といえば何を思い浮かべますか?

港。

赤レンガ倉庫。

山下公園。

中華街。

ベイブリッジ。

そして食べ物なら、やっぱり……

崎陽軒のシウマイ!

横浜に住んでいると、崎陽軒は本当に身近な存在です。

横浜駅を歩けば崎陽軒。

デパ地下にも崎陽軒。

駅弁といえばシウマイ弁当。

ちょっとした手土産にもシウマイ。

そして何より、

「美味しいシウマイ、崎陽軒~♪」

もう完全に横浜の食文化です。

ところが先日、シウマイについていろいろ調べていたら、面白い名前が出てきました。

「順海閣(じゅんかいかく)」

横浜中華街にある老舗の広東料理店です。

「崎陽軒と中華街のお店に何の関係があるの?」

と思いますよね。

実は、

ものすごく関係があるんです。

崎陽軒のシウマイ誕生に大きく関わった点心職人が、

呉遇孫(ご・ぐうそん)

という人物。

そして順海閣の創業者・呉笑安は、その呉遇孫の息子なのです。

つまり、

崎陽軒のシウマイと順海閣のシウマイには、同じ人物につながる歴史がある。

これは横浜好きならちょっと知っておきたい話です。

今回は崎陽軒と順海閣を中心に、

横浜の「シウマイ」のあれこれ

を雑談してみましょう。

そもそも崎陽軒は「シウマイ屋」ではなかった

崎陽軒の創業は、

1908年(明治41年)。

場所は初代横浜駅。

現在のJR桜木町駅です。

ところが創業当時からシウマイを売っていたわけではありません。

最初に扱っていたのは、

牛乳。

サイダー。

餅。

寿司。

など。

つまり、

駅の売店

だったんですね。

その後、1915年に横浜駅が移転すると崎陽軒も移転し、駅弁販売を始めます。

ところが、ここで大きな問題がありました。

横浜は東京から近すぎた!

駅弁屋としては、横浜には致命的ともいえる弱点がありました。

それが、

東京から近すぎる。

今でも東京駅から横浜駅まで30分前後。

当時も、

「東京を出たばかりなのに、もう駅弁を買いますか?」

という話になるわけです。

長距離列車で、

「そろそろ腹が減ったなあ」

となる頃には横浜を通過している。

これは駅弁屋さんとしては困ります。

そこで崎陽軒を率いていた野並茂吉は考えました。

「横浜にしかない名物を作ろう!」

ここから横浜名物シウマイの歴史が始まります。

目をつけたのが南京街の「シューマイ」

当時の横浜には、現在の横浜中華街につながる南京街がありました。

崎陽軒の人たちがそこで注目したのが、

シューマイ。

南京街では料理の突き出しなどとしてシューマイが出されていました。

「これを横浜名物にできないだろうか?」

ところが、そのまま売ればいいわけではありません。

崎陽軒が売る場所は、

駅。

そして食べる場所は、

列車の中。

そこで条件が出てきます。

冷めても美味しい。

持ち運びやすい。

列車が揺れても食べやすい。

そこで崎陽軒は、

一口サイズのシウマイ

を作ろうと考えました。

ここで登場するのが「呉遇孫」

しかし崎陽軒は駅弁屋です。

本格的な中国点心を作る技術があるわけではありません。

そこで南京街からスカウトされたのが、

点心職人・呉遇孫。

この人こそ、

崎陽軒と順海閣をつなぐ重要人物

です。

崎陽軒の公式資料によると、呉遇孫と崎陽軒は約1年間にわたって試行錯誤を重ねました。

目指したのは、

「冷めても美味しいシウマイ」

です。

蒸したてのシューマイなら美味しい。

でも駅で買って列車の中で食べる頃には冷めています。

冷めると肉の脂が固まり、風味も落ちる。

さて、どうするか。

ここで登場したのが、

干帆立貝柱。

シウマイに「干帆立貝柱」を入れた!

崎陽軒のシウマイの特徴といえば、

豚肉+干帆立貝柱。

これが非常に重要です。

順海閣側に伝わる話では、呉遇孫が試行錯誤している中、貝柱を混ぜたところ素晴らしい味になったとされています。

干帆立貝柱には強い旨味があります。

豚肉に加えることで、冷めても旨味を感じやすいシウマイになった。

そして1928年(昭和3年)。

ついに、

崎陽軒の「シウマイ」が誕生します。

現在の「昔ながらのシウマイ」へとつながる商品です。

そして「順海閣」へつながっていく

ここからが面白い。

崎陽軒のシウマイ開発に携わった呉遇孫。

その息子が、

呉笑安。

そして呉笑安が戦後の1945年に創業したのが、

横浜中華街の「順海閣」

です。

順海閣では現在も、

「元祖シウマイ」

という名前でシウマイを提供しています。

横浜中華街の公式サイトにも、

「1928年、当店創業者の呉笑安の父である点心師が、崎陽軒の要望に応えて、おいしいシウマイ開発に取り組み完成させた」

という趣旨の説明があります。

つまり、

崎陽軒のシウマイの歴史をたどると、横浜中華街の順海閣につながる。

これは面白いですよね。

崎陽軒と順海閣、同じシウマイなの?

では、

「崎陽軒と順海閣のシウマイは同じなの?」

という疑問が出てきます。

もちろん現在は、

別の商品です。

崎陽軒は駅弁・持ち帰り商品として発展してきたシウマイ。

順海閣は中華料理店で食べる「元祖シウマイ」。

ただし両者には、

豚肉に干貝柱の旨味を合わせる

という共通点があります。

順海閣の元祖シウマイは崎陽軒の「昔ながらのシウマイ」より少し大きめで、お店では蒸したてを味わえます。

横浜でシウマイ好きなら、

一度食べ比べてみるのも面白そうです。

「なるほど、こっちにつながっているのか!」

なんて考えながら食べると、味まで違って感じるかもしれません。

なぜ「シュウマイ」ではなく「シウマイ」なの?

そして崎陽軒といえば、

シュウマイではありません。

シウマイです。

ここ大事です(笑)。

商品名は、

「昔ながらのシュウマイ」

ではなく、

「昔ながらのシウマイ」

です。

では、なぜ「シウマイ」なのか。

実はこれについては、いろいろな説が語られています。

中国語の発音に由来する説。

初代社長・野並茂吉の訛りが関係したという説。

「うまい」という言葉が入っているから縁起がいい、という話。

ただし、

「これが唯一の正解です」

と断定できる理由は、はっきりしていません。

だから私は、

「崎陽軒ではシウマイ。それでいい!」

と思っています(笑)。

何しろ100年近く、

シウマイ

で通してきたのですから。

今ではこの表記そのものが崎陽軒のブランドです。

戦争で一度、シウマイが作れなくなる

1928年に誕生したシウマイ。

順調に横浜名物へ……

と思ったら、日本は戦争の時代へ入ります。

食糧事情が悪化し、豚肉も自由に使えなくなります。

さらに1945年。

横浜大空襲。

崎陽軒も大きな被害を受けました。

戦争が終わり、食料統制が解除されると、再び豚肉を使ったシウマイを製造できるようになります。

1948年には現在につながる株式会社崎陽軒が発足。

横浜のシウマイは、

戦後の復興とともに再スタート

したわけです。

そしてその同じ1945年。

横浜中華街では、

順海閣が創業。

戦後の横浜で、二つのシウマイの物語がそれぞれ歩み始めたんですね。

「シウマイ娘」が横浜名物を全国区にした

1950年。

崎陽軒は面白い販売方法を始めます。

「シウマイ娘」

です。

赤い服。

たすき。

手にはシウマイの入った籠。

横浜駅のホームで、

「シウマイはいかがですか~」

と販売しました。

今でいう、

キャンペーンガール+実演販売+ご当地PR

みたいなものですね。

これが話題になります。

さらに獅子文六の小説『やっさもっさ』にシウマイ娘が登場。

映画にもなり、

「横浜=シウマイ」

というイメージが全国へ広がっていきました。

商品そのものだけでなく、

「横浜らしい物語」

まで一緒に売った。

崎陽軒は昔からマーケティングが上手かったんですね。

1954年、ついに「シウマイ弁当」誕生!

そして、

1954年(昭和29年)。

あの弁当が登場します。

シウマイ弁当!

意外ですが、シウマイ誕生から26年も後です。

先にシウマイが横浜名物として定着し、

「だったら、このシウマイを主役にした横浜らしい駅弁を作ろう」

ということで誕生しました。

崎陽軒自身もシウマイ弁当を、

「シウマイの妹分」

と表現しています。

今では妹のほうも、とんでもなく有名になりました(笑)。

シウマイ弁当は「シウマイだけ」じゃない

現在のシウマイ弁当を見ると、

昔ながらのシウマイ5個。

俵型ごはん。

鮪の漬け焼き。

蒲鉾。

鶏の唐揚げ。

玉子焼き。

筍煮。

あんず。

切り昆布&千切り生姜。

なかなかのオールスターです。

個人的には、

筍煮が妙に美味しい(笑)。

シウマイを食べて、

ご飯。

鮪。

筍。

またシウマイ。

そして、

「あんずをいつ食べるか問題」。

シウマイ弁当には、人それぞれの食べ方があります。

単なる駅弁なのに、

食べ方まで雑談になる。

これも名物の強さでしょう。

1955年には「ひょうちゃん」登場

崎陽軒のシウマイといえば、もう一つ忘れてはいけないものがあります。

ひょうちゃん。

シウマイに入っている、ひょうたん型の磁器製しょう油入れです。

1955年に登場。

漫画家の横山隆一が、

「目鼻をつけてあげよう」

と表情を描いたことから生まれました。

最初は、

いろは48文字にちなんで48種類。

これがまた集めたくなるんですよね。

食べ終わったら捨てる容器ではなく、

持って帰りたくなる醤油入れ。

シウマイ娘といい、ひょうちゃんといい、崎陽軒は「商品以外の楽しみ」を作るのが本当に上手です。

そもそも「焼売」って焼いてないよね?

ここでシウマイ雑談をもう一つ。

漢字で書くと、

焼売。

でも……

焼いてませんよね(笑)。

普通は、

蒸します。

「だったら蒸売じゃないの?」

と思います。

焼売という料理は中国から伝わった点心ですが、中国各地で形や具材、呼び方にも違いがあります。

日本では豚ひき肉と玉ねぎなどを皮で包んだ蒸し料理として定着しました。

そして横浜では、

中華街の点心文化と、

駅弁文化が出会った。

そこから、

日本独自の「横浜シウマイ文化」

が生まれたと考えると面白いですね。

餃子とは何が違う?

餃子とシウマイ。

同じ中華点心ですが、見た目はかなり違います。

餃子は皮で具を包み込みます。

一方シウマイは、

上が開いている。

これが特徴です。

だから一口サイズにしやすい。

箸でもつまみやすい。

そして崎陽軒の場合、

列車の中でも食べやすい。

中国料理だった焼売を、

「駅で売る」

「列車で食べる」

という横浜の事情に合わせて進化させたところが面白いんです。

「冷めても美味しい」は駅弁だから生まれた

崎陽軒のシウマイを考えるうえで、一番重要なのは、

冷めても美味しい

ということかもしれません。

お店で蒸したてを出すなら、

熱々で美味しければいい。

しかし駅弁は違います。

買ってから食べるまで時間がある。

冬なら冷える。

列車は揺れる。

冷蔵庫も電子レンジもない。

そこで、

一口サイズ。

冷めても旨味がある。

汁がこぼれにくい。

というシウマイが作られました。

つまり崎陽軒のシウマイは、

「駅で売る」という条件から逆算して作られた食べ物

でもあるんですね。

横浜だから生まれたシウマイ

考えてみれば、

これほど横浜らしい食べ物もありません。

横浜には港があった。

外国人がやって来た。

南京街ができた。

中国料理の文化が根付いた。

鉄道が通った。

横浜駅ができた。

駅弁屋の崎陽軒ができた。

東京から近すぎて駅弁が売りにくかった。

そこで中華街のシューマイに目をつけた。

点心職人・呉遇孫と出会った。

そして、

「横浜名物シウマイ」が生まれた。

どれか一つ欠けていたら、現在のシウマイはなかったかもしれません。

シウマイは単なる中華料理ではなく、

港町・横浜と鉄道の歴史が作った食べ物

なんですね。

崎陽軒と順海閣を続けて食べてみたい

今回調べていて一番やってみたくなったのが、

シウマイ食べ比べ。

まず崎陽軒の「昔ながらのシウマイ」。

そして横浜中華街へ行って、

順海閣の「元祖シウマイ」。

どちらにもつながっている人物が、

呉遇孫。

1928年の崎陽軒のシウマイ開発から始まった物語。

その息子が創業した順海閣。

約100年前の横浜を想像しながら食べ比べる。

これはかなり面白そうです。

横浜に住んでいると崎陽軒は身近すぎて、

「いつものシウマイ」

で終わってしまいます。

でも、その背景を知ると、

一粒のシウマイが急に歴史のある食べ物に見えてきます。

シウマイは「横浜そのもの」なのかもしれない

1908年。

初代横浜駅の小さな売店から始まった崎陽軒。

1928年。

呉遇孫とともに「冷めても美味しいシウマイ」を完成。

1945年。

戦後の中華街で、呉遇孫の息子・呉笑安が順海閣を創業。

1950年。

シウマイ娘。

1954年。

シウマイ弁当。

1955年。

ひょうちゃん。

こうして見ていくと、

シウマイの歴史は、

横浜の近代史そのもの

にも見えてきます。

港。

中華街。

鉄道。

駅弁。

戦争。

戦後復興。

そして観光都市・横浜。

それらが全部、一粒のシウマイにつながっている。

だから横浜の人にとって崎陽軒は、

単なる「美味しいシューマイのお店」ではないのかもしれません。

……いや、

シュウマイじゃありませんね。

最後まで間違えてはいけません(笑)。

シウマイです!

そして今度、中華街へ行ったら順海閣の元祖シウマイも食べてみたい。

崎陽軒を食べてから順海閣へ行くか。

順海閣を食べてから崎陽軒へ行くか。

そんなことを考えながら、

今日も、

美味しいシウマイ、崎陽軒♪

ありがとう、また別の記事で。

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